1. 私の、贅沢な時間 VOL.3「魚を追う時間」

VOL.3

「魚を追う時間」

心が満たされるまで、自分の好きなことをしながら過ごす。
そんな、ささやかだけど贅沢な気持ちになれる時間を、
個性派揃いの土屋鞄スタッフに尋ねてみました。
皆さまは、「贅沢な時間」をどのように楽しまれていますか。

今回は、職人・藤巻の「魚を追う時間」をご紹介します。

雨が降った後の、爽涼感あふれる朝。楽しみにしていた、渓流釣りの一日が始まる。ターゲットは、一番好きなイワナだ。前の晩にここ、福島県檜枝岐村に入り、早朝に起床。はやる気持ちを静めようと、清新な空気を吸いに外へ出た。朝霧の立ち込める山々は、いつ見ても厳か。でも、だからこそ、僕は釣りへの気持ちをかき立てられる。


目指すは、お気に入りのあの場所。もう、何度遊びに来たか分からない。昼でも薄暗い、車がやっと通れるような山道を歩き、土手の獣道のようなところから藪を漕いで、川へ。なじみとなっている緑と土と水の匂いが、僕を出迎えた。昨晩の雨のせいだろうか、川と石の奏でる音が、心持ちせわしなく聞こえる。

道程の半分以上は、川の中。時に膝の上まで水に浸かり、大きな転石につかまったり、倒木を踏み越えたりしながら、黙々と歩を進めていく。実はこの時間も、大事な釣りの一部。水の量と勢いと冷たさ。通り過ぎていく空気の温度や湿り具合。視界を無造作に横切っていく虫たちや、ほのかに漂う獣の気配。山の自然を五感でじっくりと味わいながら、水の中の魚の様子を想像し、釣りの戦略を考えるのが楽しい。

父の影響で、物心ついた頃から釣りをするのが大好きだった。都会から離れた自然の中で出逢う、たくましくて賢い魚たちを相手に、たった1本の竿だけを手にして真剣勝負を挑む。細心に、そしてときには大胆に。そんな緊張感あふれる遊びに、僕は父と同様、たちまち魅了されてしまった。


目当ての場所に着くまでの間も、ここはというところがあれば、迷うことなくルアーを投げる。イワナは、流れの穏やかな場所では悠然と泳ぎ、急なところでは石陰にじっと潜んで、餌となる虫や小魚を狙う。そこにルアーを投げ入れて気を引くように動かし、引き寄せながら食いつかせて釣り上げる。

ルアーを入れる場所や動かし方を微妙に変えながら、投げては戻し、戻しては投げてを繰り返す。野生のイワナは大物になるほど用心深く、たやすくは掛からない。ルアーを追いかける姿が見えても、すんでのところで逃げられてしまうことなどざら。だけど、そんな魚とのぎりぎりの駆け引きが、僕を夢中にさせる。

目当ての場所にたどり着き、ポイントを見定め、ルアーを投げ始めてからしばらく後のこと。喜びは、いつものように予告なく、不意に訪れた。

足元に引き寄せるルアーを夢中で追いかけてくるイワナの美しさに目を奪われつつ、でも直前で逃げられないよう必死に息を殺しながら、釣り上げた瞬間の高揚感。小さなイワナを何度となくスルーしていった中で、今日初めて、満足できる獲物を手に入れた。

大好きなイワナを、両手で持つ。その生命の拍動と重さを直に感じ、1匹1匹に個性のある、その美しい姿形を間近で眺めたくて。山の神様が許してくれた至福の時間をしばらく堪能し、イワナをゆっくりと川に帰す。もう一度会うことはないと思うけど、次に会うときには、もっと大きくて手ごわい相手になっているとうれしいな。

移り気は釣り人の性なのか、僕の性格なのか。最初の場所で遊び尽くすと、気持ちはもう、次の釣り場に向いていた。もっと上流へと登っていこうか。来た道を引き返して、久しぶりにあの場所を訪れようか。それとも・・・。

そうして気が付くと、僕はまた川の中を歩いている。気になる水音の方へ。魚の匂いがする方へ。まだ見ぬイワナとの、素敵な出会いをひそかに期待しながら。そしてもう一度、釣りの時間を通して、川と山と自然と一つになれたような心地良さを感じたくて。


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