1. 眼差しの先にあるもの - 05.福田安宏-
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CRAFTSPEOPLE

眼差しの先にあるもの

80代のベテランから20代の若手まで、個性豊かな土屋鞄の職人。
それぞれ、どんな想いで鞄と向き合っているのでしょう。

50代にしてすでに職人歴44年というベテラン職人・福田が鞄づくりの道に入ったのは、中学を卒業してすぐのこと。3年早く修行を始めていたお兄さんの後を追うように、鞄職人だった叔父さんのもとに弟子入りしました。その後に独立を果たし、縁あって土屋鞄に。現在では主に鞄の修理業務を行っている福田に、鞄職人として大事にしていることを尋ねました。


「つくってほしい」と言われる職人になれ。


叔父の工房の2階に一家で住んでいたので、小さいころから毎日のように叔父の仕事ぶりを目にし、興味を持っていました。当時の鞄業界は景気が良くて、叔父も大きな家や車を買って、良い暮らしをしていたんです。それで、進学と迷ったんですが、鞄職人になると稼げる、手に職を付けるなら早い方が良い・・・と思って、叔父に弟子入りを志願しました。

親方だった叔父は普段は優しい人なんですけど、師弟の関係になってからは、とても厳しくされましたね。身内だからこそ、あえてきつくしたんじゃないかな。でも、あまりに厳しかったから最初は耐え切れなくて、入門して1週間くらいで「辞めたい」って言ったんです。「いいよ」って言われたんですけど、どういうわけか、次の日には仕事場に行ってしまって「やっぱり、やらせてください ! 」とお願いすることに(笑)。 長くいる先輩に相談したこともありましたけど、「いやあ、親方も年をとってかなり丸くなったよ」と言われたので、我慢しながらひたすら修行していましたね。

親方は手取り足取り教える人じゃなかったです。当時の職人さんは皆そうだと思いますが、「技術は教わるんじゃなく、盗むもんだ」という考え方。それでいて、ある日突然「これをやってみろ」って、やったこともない作業をやらされて、できないと「おまえ、今まで俺の何を見てたんだ ! 」って怒られるんです。だから、初めのうちは余裕なんてこれっぽっちもないんですけど、自分の仕事をしながらときどき横目で親方や先輩たちの技を盗もうと必死でしたね。このころに培われた仕事に対する貪欲さは、今も大事にしています。

そうして20歳になったときに兄が独立することになって、一緒に親方の元から巣立ちました。そこでさらに数年間腕を磨き、20代後半で本当の独立をしたんです。そこで、ずっと勉強させてもらった親方に挨拶をしに行ったら、あの厳しかった親方が「おまえ、あの時辞めなくて良かったな」って優しい声を掛けてくれて。思わずその場で感極まって、号泣してしまいました。あれは本当にうれしかったですね。

でもそれだけじゃなく、「これからが本当に大変な時だ。職人というものは絶対に器用貧乏になっちゃいけない。『この鞄は、絶対に福田につくってほしい』といわれるような職人にならないとダメだ」とも言われたんです。親方は実際にそう言われて、仕事を持ち込まれていた人でしたから、説得力がありましたね。今でも、この言葉は自分への戒めとして心に刻んでいますよ。

独立してからは、教わりに行くと今度は言葉で丁寧に教えてくれるようになって。一人前と認めてもらえたと感じて、うれしかったですね。でも一度、うっかり鞄をまたいだ時に厳しく叱られました。「おまえは自分のつくった鞄をまたぐのを、なんとも思わないのか ! そんないい加減な気持ちでつくったものは、いい加減なものにしかならないんだ」ってね。そんな感じで、独立してからも、ことあるごとに職人としての大事な心構えを叩き込まれました。親方から教わったことは技術だけでなく、そうしたものづくりへの真摯な姿勢も身に付いています。

良いものを早く、たくさんつくれて一人前。


独立した後は、修行時代とはまた違う意味で大変でしたね。親方の元で働いていたときは厳しかったですけど、言われたことをやればそれで良かった。でも、独立したら全部自分で考えて自分で責任をとらなくてはいけないですからね。家も買って工房もつくったから借金が多くて、ものすごくプレッシャーがありましたよ。

当時、一番に心掛けていたのは「いかに早く、たくさんつくるか」。もちろんクオリティは大前提で、とにかく納期までにどれだけ多くつくれるかが、良い職人の条件なんです。時間をかけて良いものをつくれるのは当たり前。良いものを早くたくさんつくれて初めて一人前なんです。だからいつも、どうすればもっと効率良くつくれるか、工夫することを考えていましたね。あのころ必死で身に付けた技術が今の土台になっています。

そうして13年間、一心不乱に働いた後、1年間休養をして、親方のつてである海外有名ブランドの正規修理の仕事に就きました。わずか1年間でしたが、ここで修理のノウハウを身に付けられたのが今につながっています。募集を見て土屋鞄に入社したのは、そこを辞めてしばらくしてからですね。入ったときにまず思ったのは、若い職人が何人もいて、活気があるな、ということ。今でこそ若い職人さんも多くなりましたけど、当時は「60代はまだ若手」と言われていた時代なので、ここはすごいなと思いましたね。

最初の2年間はランドセル製造を担当していましたが、ハンドバッグを主につくっていた自分には新鮮なことばかり。「返しもの」と言って、袋につくって最後にぐるっと裏返すのがハンドバッグのつくり方なんですけど、ランドセルはトランクやアタッシェのような「箱もの」のつくりに近いんです。未経験の分野でしたから最初は大変でしたけど、おかげで技術と考え方の幅がぐんと広がりました。

「幸せな鞄」と向き合える仕事。


それから色々な業務を経て、今は再び修理の仕事をしています。たくさんの鞄をつくっていたころと違うのは、お客さまからお預かりしているものなので、全てが「一点もの」だということ。持ち主にとっては愛着の込められたかけがえのないものなので、失敗してダメにしてしまったら、替えが利きません。ですので、わずかなミスもないよう、とにかく慎重に扱わなければいけないんです。

「一点もの」というのは意識だけでなく、実際の作業においても同じですね。つくったときは同じものでも、お客さまの使い方によってクセがついたり革の傷み方に差が出たりします。ですので、同じ箇所の修理であっても、一つひとつ違った対応が必要になるんです。部品の交換でも、新しいものが良いという方も、味が出ているから替えて欲しくないという方もいらっしゃいますし、ご要望は十人十色。柔軟に対応ができるよう、工夫や研究も欠かせません。

修理にはもう一つ、新しいものをつくるときと較べて、大きく違うことがあります。それは、修理は一度つくったものを解体し、また組み立て直す作業だということ。最初に縫製を解くときも、糸を引っ張って一気に抜くのは厳禁。革が傷んでいると縫い穴が破れたり広がったりするので、一目ひと目、慎重に糸を抜いていかなければいけません。組み立て直すときは、さらに大変です。新品をつくるのと違い、すでに縫い穴が空いているので、それを一穴ずつ注意深く拾いながらミシンを入れます。もし針を入れるところがほんの少しでもずれると革が破れて台無しになりかねないのでとても神経を使います。

そのように常に緊張を強いられる修理の仕事ですが、印象的なことがあります。土屋鞄のお客さまから送られてくる修理品の多くが、愛情たっぷりに使われていることです。修理やお手入れを繰り返されながら、良く使い込まれているんですね。傍目にはぼろぼろになっているように思える鞄でも愛着のある方が多くて、なんとか直して欲しいと切望されることも少なくありません。そういう鞄は幸せだと思いますし、こちらも幸せな気持ちになって、修理に熱が入りますね。もちろん、現実にはできないことも多くて修理をお断りすることもあるわけなんですが、できるかぎりお客さまの思い入れに添えるよう、これからも「幸せな鞄」たちと向き合っていきたいと思っています。

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