ある日、私は突然夏を知りたくなりました。無性に夏を感じたい衝動に駆られてしまったのです。それも海や山ではない普通の夏を、身体いっぱいに感じたくなったのです。

早速、私は次の日の朝早く、お気に入りの革の鞄にあれこれ色々なものを詰めて、用意していた服に着替えて、出発しました。
出発してはみたものの、別にどこに行くかは決まっていませんでした。とりあえず、何となく目に付いた駅までの切符を買って、窓辺にひじを付いて、ぼんやりと流れる風景を眺めていました。

何回か乗り換え、最後に降りたのは、最初の予定から3駅も乗り越した古そうな駅でした。
予定の駅に着いた時、なんとなく「ここではない」という気がして、「予感」を待っているうちに、乗り過ごしてしまったのです。

予感を信じて歩き回っているうちに、少し大きな社に出遭いました。あまり人も来ないのか、少しばかり草が伸びた石段は、早起きの脚には辛そうなほど、高く伸びていました。

それでも、登りきった先に何かがありそうな気がして、ゆっくりと、私はその石段を踏みしめていったのでした。

何分かして上の方を見ると、ひたすら続いてゆく階段の上に、夏の力強い陽射しに照らされた大きな鳥居が見えていました。夏が早く、まだまばらな蝉の声が、鼓膜の内側でやけに大きく聞こえていました。
それからどのくらいの時間が過ぎたでしょうか、ようやく私は最上段まで登りつめ、小さく見えた鳥居をくぐって、中へ足を踏み入れたのです。

そこには作られてからだいぶ経っていそうな古い社がありました。中には御神体らしき布に包まれた何かが座っていました。

私はとりあえず、持っていた革の鞄をそばに置き、木でできた社の階段に腰を下ろして、汗を拭くと、ひとつ大きく伸びをして、そのまま後に上体を倒しました。

視界には濁りのない吸い込まれそうな空と生命の勢いに満ちた緑。耳の奥には樹々の揺らめきを伴奏にした蝉と鳥の輪唱。そして、陽が高くなるにしたがって痛さを増す白い陽射し。

すべてが夏でした。
すべてが、夏でした。
私は少し身体を起こして、深呼吸をしました。それから傍らの鞄を開けて単眼鏡を取り出し、太陽以外の目に入るものすべてをゆっくりと観察しました。

鞄の革の匂いが樹々のを満たす空気の中に、色が土と緑の中に融けてゆきました。 そこには夏がありました。私だけの夏の時間がありました。

そのままつくってきたお弁当を食べて、冷たいお茶を飲んで、気がつけば、眠ったままもう陽が沈みかけていました。辛かった石段を噛み締めるように降りて振り向くと、大きかった鳥居はもう暗がりの中で見えなくなっていました。

そのまま私は、鞄と一緒に帰ってゆきました。今年最初の、夏でした。